いまを生きる 映画寸評

それは我々が人間である証なのだ

厳格な寄宿学校に新任の英語教師としてジョン・キーティング(ロビン・ウィリアムズ)がやって来た。彼は規則にがんじがらめになっていた生徒たちに、詩の素晴らしさ、人生の素晴らしさ、自分の人生を自分の意思で生きることの大切さを型破りな授業で生徒たちに伝えていく。

キーティングの言葉に感化されたニールたちは、キーティングが昔していたという「死せる詩人の会」を復活させ、恋に、夢に、それぞれの青春を謳歌していくのだが......。
1989年。アメリカ。主演、ロビン・ウィリアムズ。監督、ピーター・ウィアー。

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なぜ机に登るのか?

青春まっただ中の少年たちの姿がまぶしい映画です。いえ、男の子が可愛い映画といってもいいかもしれません。
洋の東西を問わず、秘密基地って男の子の血をたぎらせますよね。ロビン・ウィリアムズもきっちり型破りな教師役を彼らしく演じています。

この映画の見所である最後のシーン、生徒全員じゃないところが良かったです。なぜなら生徒全員では、キーティングが危惧する「順応」になってしまうから。あくまで大切なのは自分の考えで行動すること。
ま、あのシーンを日本人が演出したら、生徒全員になるのでしょうけど。

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自分で考えることを学ぶのだ

この物語には、隠されたサイドストーリーがあります。

一つは冒頭で寄宿学校に転校してくるトッドの物語。トッドには優秀な兄がいますが、なぜか映画には登場しません。トッドの兄は寄宿学校でも有名人で、兄の母校でもある寄宿学校にトッドは転校させられたのです。トッドの誕生日プレゼントに去年と同じデスク・セットを送るような両親がです。なぜでしょう?
もしかしたら兄は、死んでしまったか両親の期待を裏切ってしまったのではないか。そう勘ぐらざる得ません。

彼らの友情はどうなってしまうのか

もう一つの物語、それはキーティングと同僚の教師マカリスターの物語。キーティングは最初の授業で生徒に教科書のページを破らせるのですが、そのことを昼食の席でマカリスターに咎められてまいます。
が、しばらくすると準備室で楽しげに二人でお茶を飲むシーンがあるのです。ほんの短いシーンで、しかもマカリスターにセリフはありません。さらに最後のシーンで、雪が積もる中を歩くマカリスターが窓から庭を見下ろすキーティングに手を小さく掲げ、気づいたキーティングも手を掲げて応えます。

これだけで、二人の交流が暖かで有益であったことがうかがえる素晴らしいシーンです。キーティングは生徒にとって有益な劇薬でしたが、キーティングが学校を去った後、より副作用の少ない良薬が寄宿学校の教壇に立つことになるのかもしれません。
それにしても、トッドたちの友情は、どうなってしまうのでしょうか。

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