山椒大夫 映画寸評

主役は山椒大夫?

民を思って御上に逆らい、岩城国から筑紫国に左遷された平正氏を追って越後国まで来た妻と二人の子、厨子王と安寿。だが、直江津で人買いにさらわれた厨子王と安寿は、丹後国にある荘園の長者、山椒大夫の元で奴隷として酷使される日々を送る。

数年後、佐渡から来た新入りが口ずさんだ流行り歌から母、玉木の消息を知った二人は脱走を企てるが、妹の安寿は自ら荘園に残って兄の厨子王を逃がす。国分寺の修行僧の手助けもあり、京へたどり着いた厨子王は時の関白に謁見する機会を得て、父の名誉回復と丹後国の国司に任ぜられるのだった。
1957年。日本。主演、監督、溝口健二。

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映像もいい、役者の演技もいい

この映画は、説経節の一つ「さんせう太夫」を森鴎外が小説にまとめた「山椒大夫」を映画化したものです。
安寿と厨子王の物語の方が分かりやすいかもしれません。この作品は、ヴェネツィア国際映画祭で銀獅子賞を獲得するなど、監督の溝口健二さんの代表作になっています。映像もいい、主役・脇役・敵役の演技もいい。(少年時代の厨子王役に津川雅彦が出ているのには驚いた)

だが、シナリオだけは納得いかない。

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家族愛の裏にあるもの

山椒大夫の話は仏教の教えを説く説経節が元ということですが、この話のどこに御仏の心があるのか。
なぜならこの話は厨子王の復讐譚だからです。このことは、物語前半のクライマックスが妹の安寿の死(入水するシーンは悲しくなりました)であり、物語後半のクライマックスが山椒大夫の死(映画では描写はない)であることからも分かります。

しかし、復讐を成し遂げた厨子王の心には空しさだけが残った。母を探したのは空しさを埋めるためです。彼の行為は私怨であって、そこに正義はありません。

偽善者たちの夢の後

映画では最後に母との再会を果たす厨子王ですが、この後の二人を想像してぞっとしました。
厨子王が国司として出した命令は取り消され、山椒大夫は無罪放免、山椒大夫の元で働いていた人々は罪人として捕らえられるに違いありません。
また、律令を軽視した御触書を出した厨子王も獄につながれる可能性が高い。つまり、厨子王がしたことは彼の自己満足にすぎなかった訳です。

そして、また母が一人取り残される。思えば、厨子王の父、平正氏もそうでした。己の信念のために家族に犠牲を強い、赴任先の筑紫では妻や子の苦労も知らないまま領民から名君として慕われる始末。

鳥食うなまこ

とまあ、ストーリーについてさんざん不平を書き連ねましたが、見て損はない作品だと思います。映像も演技もいい。ストーリーについては、溝口監督に罪はありませんしね。
人間の欲と業をあぶり出した原作を、薄っぺらい家族愛の物語に作り替えた森鴎外先生には一言言ってやりたい。人の業と家族愛を同列に扱ってこその物語だと思うのです。
ところでなんで、「山椒大夫」というタイトルなんでしょうか? 最後まで分かりませんでした。

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