昭和の起業家と平成の起業家の違い

世界の中心は社会にあるのか、自分にあるのか

昭和の起業家と平成の起業家の違いは何か? と問われると、一つのことに思い当たる。それは年上の部下の存在である。

昭和の起業家は、特に後々大企業になるような企業の創立時は社長より年長の部下がいた。だが、平成の起業家の場合、社長より年長の部下はいない。ほとんど見たことがない。一般的に、年上の部下は上司にとって扱いづらい存在であり、それが平成の起業家にはいなくて昭和の起業家にはいる理由でもある。年上の部下は目の上のタンコブでしかないから、企業を立ち上げるときに平成の起業家は声をかけないのである。

では、逆に昭和の起業家に年上の部下がいる理由は何だろうか。昭和の起業家にとっても年上の部下は扱いづらい存在に違いない。それでも昭和の起業家 が年上の部下を持ったのは、その才能を必要としたからだろう。なら平成の起業家の周囲に、才能あふれる年上の知り合いはいなかったのか? いたかもしれな いし、いなかったかもしれない。ただ、平成の起業家は才能よりも扱いやすさを優先する傾向にあるようだ。

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企業の存在理由は起業家自身?

才能を優先する昭和の起業家と、扱いやすさを優先する平成の起業家。両者の考え方の違いはどこから来るのか?

それは中心の違い、企業人としての立脚点の違いだろう。
昭和の起業家は企業の存在理由を社会に求める。一方、平成の起業家は企業の存在理由を自分に求める。言 い換えれば、昭和の起業家は経営する会社を通して社会に還元することを目的としているのに対し、平成の起業家は経営する会社を通して社会に影響を与えるこ とを目的としている。社会が中心で自分が動くのが昭和の経営者の考え方、自分が中心で社会が動くのが平成の経営者の考え方、この違いである。

滅私奉公は悪なのか

ではなぜ、このように世の中の起業家の考え方が変わったのかといえば、時代の変化ということになる。現在は個人主義の時代であり、滅私奉公という言 葉が死語になって何十年と経つ。経営者の意識が変わるのも当然といえよう。経営者の意識が変わったが、そのことに不都合があるかといえば不都合はない。そ う、不都合はないのだ。
逆に、平成の世では昭和の起業家のほうが周囲から奇異の目で見られるだろう。経営者が自分中心に考えるようになるのも時代の選択であり、必然だったといえる。

個人主義は善なのか

しかし、一つ警告しておきたい。時代は常に動く。今まで常識だったことも、砂の塔が風に吹かれて崩れていくように自分が気づかないうちに形を変えてしまうもの。まず、置かれた状況に疑問を持ってはどうだろう? 

個人的な見解を語らせてもらえば、同じ個人主義でもキリスト教の影響力下にある西欧と、仏教や儒教の縛りが緩んだ今の日本のそれとは天と地ほど違うのではないだろうか。

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