物語の結末はあらかた決まっている

予想を外すか超えるか、それが肝心だ

ニコ動で「フラグが立った」とか「先の展開が読めた」という自慢コメントをよく見かけます。また、小説などの公募の選考者のコメントで「独創性がない」とか「話が単純」などの批評を読んだことのある人がいると思います。

正直、フラグなどというものは見終わった後に初めて気づくもの。フラグに途中で気づく理由は、鑑賞する側の集中力が低いか、物語がつまらないかの二択しかない。もしくは一息ついてお茶を飲んでいる時とか。
また、漠然としたアドバイスだけもらっても創作の手助けにはなりません。それこそ、ありきたりな批評をするだけの役立たずな編集者のコメントでしかない。

まあ、双方とも深い考察によるものではなく、脊髄反射でしかないことを考えれば当然なのですが。

読者の予想を外すことが難しい訳

正直、読者の予想を外すことは難しい。なぜなら作者には制約と約束が課せられるからです。
制約とは、書いたことをなかったことにしてはいけないという創作上のルールのことであり、約束とは、読んだ人を満足させるという読者との暗黙の了解のことです。

も ちろん、制約も約束も反故にすることはできます。物語は自由ですからね。ただ、それを繰り返した場合どうなるか、想像に難くありません。まあ、制約も約束 も無視する作家が昨今ではカルト的な人気を得ることもあるようですが、初めからカルト人気を目指すのもどうかと思います。

要するに物語には制約や約束に基づいた「話型」があり、その型を逸脱することは話が進めば進むほど難しくなる。そのため型を知っていれば、先の展開(詳細ではなく話の大枠ですが)を読むことなど造作もありません。

- スポンサードリンク -

読者の期待に応えることは難しい

一つの例として、中学時代からお気に入りの作家である笹本祐一先生の「ARIEL」で制約と約束を検証してみましょう。ARIELは笹本先生の代表作の一つで、地球を侵略にきた零細侵略会社と科学に魂を捧げたマッドサイエンティストたちが国家から一民間人(主に身内)までを巻き込んで戦う物語+αです。

読み進めていくと一つの事実に気づきます。それは、侵略する側と侵略される側の科学力の絶対的な差です。地球側の知恵と根性では、どうにもならないほどの差でした。これが制約になります。つまり、このままでは侵略者を地球側が撃退する結末がないことに読者は気づくのです。

だからといって、侵略者が地球を制圧する結末を読者が諸手をあげて受け入れるはずもありません。作者によるウルトラC的な展開もありえますが、読者が作者に望むのはそれではありません。これが約束です。

読者の予想を裏切り読者の期待に応えること

ARIELに関して言及すれば、物語の結末が予測できても物語の魅力は色あせません。なぜなら、登場人物が魅力的だったからです。また、どうやって話を結末まで運ぶのか、話をどう転がすか興味もありました。
最近読んだ「図書館戦争」を例にあげれば、笠原郁の王子様の正体なんて読み進めていくほど予想が確信に変わるが、だからといって作品がつまらなくなる訳ではない。むしろ、やっぱり!と膝を打って萌え苦しんだほどだ。

先の展開が読めたからといって、物語の魅力が目減りするわけではないのです。もしそうだとしたら、同じ本を何度も読むという行為が成り立たない。誰でもお気に入りの本はあると思います。笹本先生の『侵略会社の新戦艦』なんて、何度読んだことか......。田中芳樹先生の『銀河英雄伝説』も十回以上は読んでいるはずです。

つまり、「独創性がない」とか「話が単純」などというのは選者の言い訳でしかなく、作品の問題点はもっと別にある、ということです。話の奇をてらうことだけを考えてはいけません。

回想は負けフラグ(キリッ

それにしても、ニコ動でよく見かける「○○は△△のフラグ」などコメントが気に障っただけで、ここまで長文を書いてしまうとは予想外でした(苦笑。

そうですね、思考モデルとしてこんなのはどうでしょう?
Aさんが読んだ10冊のうち、9冊が「○○は△△のフラグ」だったとします。で、Bさんが読んだ100冊のうち30冊が「○○は△△のフラグ」が当てはまるとします。では、「○○は△△のフラグ」とコメントするのはAさんとBさんのどちらでしょうか?
答えはAさんです。そしてよほど偏った読書をしない限り、200冊、300冊と読んでいけばフラグが当てはまる数は増えても割合は減っていくはずです。

多岐亡羊

まあ、コメント自体は脊髄反射の代物ですし、こんなところで愚痴っていても何も変わらないのですが......。

- スポンサードリンク -