日本人とユダヤ人 山本七平 角川書店

相互理解という幻影への警告

四方を海に囲まれ安穏と生活してきた歴史を持つ日本人と、紀元前から侮蔑と迫害という危険の中で暮らさざる得なかったユダヤ人を列記して、世界における日本の特異性と日本人が国際的に活動するために乗り越えなければならない「壁」について語った本。

西郷隆盛は日本教の殉教者

純粋な農耕民族だった日本人は牧畜民的思想(例・処女降誕伝説)と遊牧民的思想(例・性殖は利殖)が欠 けている。また、大陸的な戦禍や災厄と無縁だったので、相手の人間性を過大評価する傾向がある。すなわち日本人とは「お坊ちゃん民族」に他ならないと著者 は説きます。

隣近所で協力して農作業をする「キャンペーン型農業」を続けてきたことも、他人の善性を信じてしまう日本人の素地となった。何しろ日本人の 95%は農民だったのですから、その影響力は「武士道」の比ではありません。まあ、武士も元々は豪農ですから武士道もキャンペーン型農業の影響を受けてい るのですが、それをふまえて著者は、日本人とは互いの人間性を信じ合う「人間教」を無意識に信じる人々のことであると述べています。

- スポンサードリンク -

安全は歩いてこない、だから築いていくんだよ

互いの人間性を無意識に信じる日本人が、朝廷・幕府併存というと二権分立を成立させたことに著者は深い関心を寄せます。なぜならそこに、法外の法が存在するからです。明文化されていないものを信頼し依存する。個人ではなく、組織や集団がです。中世の西欧の人々には真似できないことでした。現代でも、かなり難しいことだと思います。

さらに著者が注目したのはリーダーの不在です。日本人は、時としてリーダーシップをとる人物が不在のまま、物事の決定を下すことがあります。俗に言う空気を読んだ行動です。なぜ、リーダー不在のまま物事を決められるのか西欧人には理解できないそうですが、それが可能なのも双方が人間教の信者だったという日本独特の事情である、と著者は論じます。(ただし、必ずしも良い結果ばかりでないことは太平洋戦争の開戦に至る経緯が証明しています)

日本語が論理的な言語でないことは知られていますが、だからといって日本がルールも何もない国家だったわけではありません。根拠もなく相手の人間性を信じるという、非論理的な生活を送っていた日本人には日本語は完璧な言語だった訳です。

ソロバン的思考と数式的思考

一方で日本人は「数」に強い民族でもありました。数を計算するには論理的な思考が必要になります。つまり、日本人は常日頃から論理的思考と非論理的思考を使い分けていたことになります。では、どのような基準で切り替えていたのでしょうか?

著者は思考を切り替えていたのではなく、数を数式ではなくソロバンとしてイメージすることで、非論理的思考で論理的計算をしたのだと解説します。パソコン上の仮想化PCを想像してみてください。そうですね、アナログ→デジタルという意味では、音の波をデジタル信号にするイメージかもしれません。日本人の頭の中には昔から優秀なコンバーターがあったんですねぇ。
この優秀なコンバーター能力とキャンペーン型農業で鍛えられた同調力、そして日本人の心に根ざした「人間教」が、日本の驚異的な戦後復興を可能にした理由だと著者は語ります。金ではないのだよ、金では。

全員一致の審決の行方

この本は多岐に渡って日本人とユダヤ人を比較しますが、ちょこちょこ目の覚める記述があります。

  • プールサイダーの言葉を例に見るまでもなく、なぜ日本語はこんなに気安いのか。泳ぎが上手くないプールサイダー(自分は泳がずにプールサイドで他人の泳ぎに注文をつけている人)の言葉を日本人はどのように考えているのか。
  • 日本人の頭の中にある語呂盤。日本語の「言葉」には具体的な概念はなく抽象的な概念があるのみ。なので、適当に並べるだけで、それらしい日本語になる。
  • 神をたたえる行為が神の教えに反する行為であるという矛盾。貧乏人から搾取した金で神殿を飾り立てる行為は、神を侮辱するものであるという事実。
  • 立場を明確にすることこそ公正(フェアー)ということ。互いの立場を明確にしなければ、議論にならないどころか正しい判断が下せない。すべての人に公平でいられるのは神だけである。マスゴミ、あなた方のことですよ。
  • 英米人が書いたユダヤに関するの本を読んでもユダヤを知ったことにはならない。これは著者なりの諧謔か。日本人が書いたユダヤの本を読んでも......。
  • 全員一致の審決は無効である。なぜなら、審決の正誤を誰も判断できないからだ。
  • ユダヤ人と西欧人の付き合いは二千年だが、互いの間に壁がなくなったとはいえない今日を続けている。人は簡単に相互理解できないという現実を日本人以外の民族は知っている。知らないのは日本人だけである。

内田樹先生の書かれた日本人論も面白かったですが、山本七平先生の書かれたこの本も読んでいて何度も頷く箇所がありました。

レジの意義に見る西欧人と日本人の差

しかし、この本の初版が出版されてから四十年あまりたった今、日本人は変わってきているように思います。個々の人間が自己中心的になったというか、悪い意味で互いの人間性を信じられなくなっているような気がするのです。グローバリズムが進んで世界の他の民族と交流するようになったからかもしれませんし、時代の流れで人々の意識が変わったからかもしれません。この変化は、戦後の民主主義と無縁ではないでしょう。有り体に言えば、教育の結果です。

安全を企業や国が保証してくれるから安心?

どんなに安くても企業である以上安全だと思った。法律があるから心配ない。個人や企業ではなく監督官庁の責任だ。コスト割れしようが、企業は顧客に安全と安心を提供する義務がある。そのような文言には、ブラック企業を生み出しているのはブラック消費者だ、なんて反論もありました。

日本の安全神話が崩れてきている昨今、自分たちの身を自分たちで守らねばならなかったユダヤ人を良き模範として、私たちは安全とコストについて考えてみるべきだと思います。
もちろん、高い金を支払えば安全というわけではありません。ぼったくられているだけかもしれません。何にお金をつぎ込めばいいか、この本に書かれているユダヤ人の生き方にヒントを探してみてはいかがでしょうか。

- スポンサードリンク -