武士道解題 李登輝 小学館

武士道とはソーシャルジャスティスと見つけたり

志を見失った日本人に向け、元中華民国総統の著者が自らの経験と見識を論拠に新渡戸稲造が書き表わした武士道を解説した本。

武士道と公儀への忠節

前に読んだ「ボクは武士道フリークや!」の著者、アーネスト・ベネットは「武士」の観点から新渡戸稲造の武 士道を否定的に論じましたが、この本の著者は「君子」の観点から武士道の解説します。武士=武道を学び修める者にとっての武士道と、武士=官僚・為政者と しての武士道。この「君子」という視点が類書との違いです。

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宗教教育に変わるもの

新渡戸稲造は欧米の宗教教育に変わるものとして武士道をあげました。宗教教育とは、宗教(教義)を知り、理解と実践を繰り返すことで神仏への信仰心を身につけることを目的とした教えです。多くは親から子への形で伝わり、子供は宗教観に基づく判断基準や倫理観を身につけていきます。

宗教教育では神の教えを説きますが、武士道では公儀への献身を説きます。この場合の公儀とは、政治を行なう機関ではなく世の中や世間のこと。武士道は社会への献身を説くのです。それが支配階級である武士の義務であると。この本の副題『ノーブレス・オブリージュとは』がつけられた理由はここにあります。

正しい個人主義とは

西欧は個人主義の国であると日本では思われています。しかし、日本の個人主義と西欧の個人主義には決定的な違いがあります。それは社会貢献意識の違いです。西欧ではいまだ宗教教育が根強く、個人が個々の判断で社会に還元することを求められます。それは無償有償を問いません。自らが属する社会への感謝の気持ちが社会貢献へとつながっているのです。

しかし、日本の個人主義は違います。個人が個々の判断の下、何をするにも自由である。それが日本の個人主義です。社会貢献意識は微塵もありません。個人と神との契約という宗教意識のない日本人が、個人主義を手前勝手に解釈した結果でしょう。

著者は武士道を知り行動すれば、自己満足を追求するだけの個人主義から脱却できると説いています。若いころの読書と武士道との出会いが、私の「公儀」への献身意識を目覚めさせてくれた、と実例をあげて力説します。

やせ我慢こそが武士の道

もちろん、クリスチャンである著者は武士道のすべてを肯定している訳ではありません。切腹については、名誉を重んじることに理解を示しながらも否定的な意見を述べています。この点はアーネスト・ベネットと同じです。(あー、アーネスト・ベネットが内容がナルシスチックであると嫌ったのは葉隠の方だったかもしれません。やんわりと訂正しておきます)

切腹を否定的にとらえる一方で著者は、若いうちに死生観を身につけておくことを推奨します。なぜなら死を考えることは、どう生きるかを考えることにつながるからです。定年退職後、どう生きるかを考えるよりも、未成年のうちにどう生きるかを考えるべきでしょう。

差異と不平等の違いを学べ

武士道は決して時代遅れのものではない。なぜなら永遠の真理が秘められているからだ。聖書が今なお、多くの人に読まれているのは永遠の真理を秘めているからであり、武士道も同じである。しかし、心の有り様というものは子供のころに教育を通してしか身につけさせることができない。厳しい現実に直面している今の日本だからこそ、義務教育で武士道を教えるべきである、と著者は最後に力説します。

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