「東京物語」と小津安二郎 梶村啓二 平凡社

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小津の前に小津はなし

巨匠・小津安二郎監督の代表作「東京物語」の特殊性と普遍性について著者の目線で綴った本。

なぜ、世界中で東京物語が絶賛されるのか?

今まで日本固有の物語と思われてきた東京物語にただよう普遍の色。実は東京物語は東京とタイトルにありながら、東京が舞台であることをひた隠しにした物語だと著者は指摘する。
思い起こせば確かにそうだ。東京の風景をそれと分かるように正面から映した映像がほとんどない。なぜか?

東京に限定されない場所と空間。日本人に限定されない人間ドラマ。そこには小津監督の意図があった。人として誰もが持ち得る感情を表現する舞台として、時代の先端を行く『都会』が最適だったのだ。
東京であることは表面的な意味しかない。小津監督がイギリス人だったらロンドンが、フランス人だったらパリが選ばれていただろう。日本人だったから舞台に東京が選ばれた。それだけのことだ。

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小津の後に小津はなし

小津監督の意図を実際に目に見える形にしたのはそれぞれの役者たちである。
原節子演じる義理の父に尽くす理想の嫁。年老いて、都会に住む子供たちに会いにゆく老夫婦。東京に来た両親を素直に喜べない子供たち。
完璧主義者だった小津とその小津に応えた笠智衆らの役者の演技が本当にすごい。

演技の多重性

その演技は、人間が持つ業を映画の画面にあぶり出していく。
人間の持つ二面性を実に巧みに、さりげなく表現する役者たちに著者は心服する。
と同時に、目に見えるもの見えないものから小津の意図を探っていく著者。

よくできた『東京物語の考察文』

この本は正確には評論ではない。なぜなら、評論に必須の『他の論』との比較がないからだ。
世に出たあまたの東京物語についての評論を読み手が知っていることを前提として著者は持論を展開していく。

つまり、本のほとんどは著者の主観である。が、なかなか深い主観ではある。
私は東京物語についての一般的な論評をまったく知らないので、もう少し『他の論』の詳細に教えてほしいと感じた。
なぜなら、著者の主観が本当に著者だけのものなのか分からないから。しかし、著者の主張には感心することが多かったことも事実である。

東京物語と私

東京物語をまだ見たことのない人のために、私の体験を話そう。
私が東京物語を見たのは三十歳をすぎたころ。DVDを借りて観たのだが、映画が始まると同時に画面から目が離せなくなった。
場面は冒頭の日常のシーンなのだが独特のローアングルの映像がひたすら続くせいか、観ていて変な緊張を強いられる。たとえるなら、猟犬ににらまれたウサギ。ヘビににらまれたカエル。

画面に隙がないのだ。物語が進むにつれ独特のローアングルにも馴れてくるのだが、今度は映画の小道具や役者のちょっとした表情の変化にも意味があるような気がしてならなくなる。緊張のためか、どんどん呼吸が浅くなるので時々大きく息を吸い込まなければならない。
映画館ではなくDVDで良かった。私はいったん映画を止めて、ノドの渇きを癒やすため水を飲んだ。

黒沢監督とはまた違った魅力

......そうやって小休止をはさみながら私は最後まで東京物語を観た。名作という評判に偽りがないことを肌で感じた映画だった。
それぞれの生活を守ることに必死な子供たちを淡々と描いていく。人生最後の旅となるかもしれない東京行きに老夫婦は何を求めたのか。

戦後の東京と日本人を描くのではなく、人としての本質に焦点を当てた東京物語はアラサーの人たちにこそぜひ観てほしい作品です。
もちろん、アニメが好きなアラサーさんにもきっと共感するところがあると思います。

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