浅草芸人 中山涙 マイナビ

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浅草が輝いていたころ

戦前の浅草オペラで名をはせたエノケン・ロッパから、もはや戦後ではない萩本欽一・ビートたけしに至るまで、浅草で活躍した芸人たちの足跡を解説した本。

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浅草オペラとオタ芸

戦前までは東京一の歓楽街だった浅草。特に浅草六区は芸能と結びつきが深く、江戸・明治・大正・昭和にわたり数多くの劇団の小屋が建てられた。人気の俳優や芸人を目当てに多くの観客が集い、軽演劇の流行は常に浅草六区から始まるといってもよかった。「どうする連」や「ペラゴロ」といった現在のオタ芸に通ずるものも浅草で生まれている。

東京一の歓楽街・浅草

関東大震災の後、復興した浅草からエノケン・ロッパという喜劇界の二大スターが生まれると、ますます浅草は加熱する。このころには、客いじりやメタフィクションを取り入れた劇や当時の政治を黒い笑いで包んだコントといった今と遜色ない軽演劇が流行していた。
そんな何でもありの浅草の賑わいを目ざとい実業家たちは指をくわえてみている訳がない。東京からは松竹の創業者である白井松次郎と大谷竹次郎の兄弟が、関西からは宝塚の生みの親でもある東宝の小林十三と関西を中心に寄席を経営していた吉本せいが、それぞれ浅草に劇場を建て公演するようになる。

俳優・芸人の意外な関係

この本には浅草で活躍した人や大正から昭和初期の俳優・芸人が数多く出てくるが、意外な人物が浅草に縁のある人物として紹介されていて驚くことが多々あった。
その代表格が映画監督の黒澤明であろう。黒澤監督と浅草。良縁とはいえない縁ですが、決して無視できない事件があったのです。

名だたる俳優・芸人の名前を意外なところで見かける本書だが、清川虹子と浅香光代の来歴を知ったときは驚くやら感心するやら。清川虹子の師匠が川上貞奴だったり浅香光代が劇団を立ち上げたのはわずか十四歳だったり。

当時の俳優・芸人の波瀾万丈の人生は時代を映す鏡としてぜひ映画化してほしいです。なにしろ思いもよらないエピソードがてんこ盛り。ロッパと宝塚とか、エンタツ・アチャコのコンビの期間とか、慰問団の話とか、伴淳三郎と天才天才少女歌手とか、永井荷風と浅草ロック座とか、駅前シリーズと森繁久彌とか。

芸風という血は受け継がれて

今では東京の歓楽街の中心は浅草から新宿や渋谷といった他の街に移りましたが、浅草の芸人魂は現代の世にも受け継がれています。たとえ浅草で舞台に立ったことが一度もなくとも、浅草で生まれ育った芸風は師匠から弟子へと脈々と伝わっていく。コメディエンヌのDNAはそうして次世代に広がっていくのでしょう。
師匠と弟子の関係は親子に近いのかもしれません。

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